2015年2月1日日曜日

デヴィ夫人(根本 七保子)の失言 「後藤さん自決してほしい」に賛否両論

デヴィ婦人の発言が波紋「後藤さん自決してほしい」正論だと話題に

2015年01月30日22:20



イスラム国で捕虜となって釈放が待たれる後藤さんに対しデヴィ婦人が持論を展開し波紋を呼んでいる。一刻も早く釈放されて欲しいと願う一方「不謹慎ではありますが、後藤さんに話すことが出来たら いっそ 自決してほしいと 言いたい。」などと強気の発言をしていることが明らかとなった。この発言によりネットでは「不謹慎すぎる」などと批判が相次いでいる一方「正論だ」という声も。

―自決して欲しい

デヴィ婦人は2015年01月29日のブログにて今回のイスラム国関連の問題を題材にし持論を展開している。もちろん早く釈放をしてもらいたいと願う一方、やはり後藤さんの母親そして本人への批判とも思える発言がかきこまれていた。

たびたび 後藤さんのお母様が マスコミに 登場していますが、 私は腑に落ちません。 苗字が違うのは 事情があるのでしょうが。

不謹慎ではありますが、後藤さんに話すことが出来たら いっそ 自決してほしいと 言いたい。 私が 彼の母親だったら そう 言います。 我が子を 英雄にする為にも ・・・


案の定この書き込みに批判が集まっているようですが、ある意味デヴィ婦人ならではの考察だといえるのかもしれません。その影響で「正論だ」と評価するユーザと「お前が言うな」などと批判するものと賛否両論だ。



大それたことをした 湯川さんと 後藤記者

―ネットの反応
・ 反吐が出る
・ マスコミ各位及び企業はもう少し真剣に考えて頂きたい。
・ 醜悪と言わざるをえない。戦前に回帰する気なのか
・ 母子家庭は怒っていい
・ おまえさん後藤氏の母親でもカミさんでもないんだから黙ってろよ
・ 自決しろという奴に限って、言ってる本人も何度も自決するタイミングがあったにもかかわらず、生き延びて(以下略)
・ デヴィ夫人は自己責任論者か。
・ とりあえず、デヴィ夫人の株があがった。
・ デヴィ夫人かっけー
・ ゴーストライター誰がやってるのか知らんけど改行し過ぎじゃね
・ 今日、仕事中にこれ話してた。
・ デヴィさん、たまに正論言う。
・ 後藤さんからのメッセージって、本人発信じゃないよ。
・ デヴィ夫人に賛成!
・ これは詭弁だわ
・ 後藤さんに自決しろとか、 マジデヴィに吐き気すんだけど。
・ デヴィ夫人が珍しく正論言ったけど、それは口に出しちゃいけないヤツやでw

(秒刊ライター:Take)

参照元 : 秒刊SUNDAY


北朝鮮シンパで児玉人脈、頭の悪いデヴィ夫人がまたまた失言ですか・・・

田母神俊雄を応援するデヴィ夫人ですが、田母神もツイッターで後藤さんを批判するツイートをしています。そして田母神ガールの一員であるデヴィ夫人も後藤さんを批判。実に解り易い行動です。



デヴィ夫人「後藤さん自決してほしい」



後藤さんが処刑される動画が公開されました。あの斬首画像が本物なら、後藤さんは自決ではなく殺害されたことになりますが、今回の事件は不可解な点が多すぎてどれが本当の情報なのか頭が混乱します。

<ネットユーザーの反応>
「おばさん、汚いから死んでくれ。こういうレベル」

「別に正論でもねーよ」

「デヴィは犯罪者呼ばわりして無関係の人間の顔写真をアップしてたけど、その責任は取ったの?」

「自己責任論って日本だけなの?」

「こういうババアが自決しろ」

「いや自決すると保険金が入らないからなぁ。後藤奥さんが怒り狂うぞ」

「極端なんだよ。多少の責任はあるとしても命をかけるって頭湧いてる」

「デビル婦人ってハマタから嫌われてるからもうテレビ出られないね」

「そもそもこの事件が迷惑とは考えていない」

「実弟が自殺したのになぁ。そういう人なら尚のことこういう発言はしないはずだと思うけどなぁ」

「自決じゃ無駄死にだな。5人くらい道連れにして欲しい」

「あなたの大和魂。腐っていませんか?」

「北朝鮮とべったりwww」

「そもそも日本国籍も持たないものが、日本の精神を勝手に解釈して語って欲しくないよな。インドネシアにさっさと強制送還すべきじゃない」

「どんな理由があるにしろ、人に死ねって言ったらダメだろ」

「でも実際自決したのって騙された沖縄人だけでしょww」

「愛国者を自称する連中が人間のくずなのはどこの国でも同じだろう」

「デビに関しては、お前が言うなだな」

「死んでほしいのはどう考えてもテロリストの方なんだが、正論とか言ってる人達はなぜかテロリストは否定せずに人質にされた人を憎むんだよね。馬鹿じゃねーの」

「マジキチですわ」

「親北朝鮮デビはこれを契機に自衛隊による邦人救出法制化されたら困る北朝鮮の代弁者。自己責任に矮小化して北朝鮮に向かないようにしてるだけ」

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年(昭和15年)2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍のタレント。インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。本名・インドネシア名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)、旧名・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)、通称はデヴィ夫人。

スカルノ大統領との間に生まれた一人娘・カリナは、2005年(平成17年)11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOフレデリック・シーガスと挙式している。



来歴

生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子の間に生まれる。父は麻布区霞町界隈の大工であり、弟が1人いた(八曾男)。家庭は裕福ではなく多額の借金をしていた。太平洋戦争中は、母・弟の3人で福島県に疎開していた。

無名エキストラ女優~高級クラブ
15歳だった1955年(昭和30年)、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。中学卒業後は、東京都立三田高等学校定時制部に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、昼休みや休日にも貧しい家計を維持するため、喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちし続ける日々を送った。

1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。

1959年(昭和34年)、19歳のときに、インドネシアへの開発援助に伴い「東日貿易の秘書」という名目で、スカルノ大統領のもとに送り込まれた。この一件に当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた暴力団関係者の児玉誉士夫が関わっていたとされる。

スカルノ大統領夫人

独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年(昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。

しかし、同時期にマスコミの執拗な取材により体調を崩していた母が亡くなった。更にその2日後、セールスマンに全財産を騙し取られたうえ、母の死に目に逢えなかった実弟の八曾男が、自宅アパートでガス自殺し、それを伝え聞いた彼女は「何時までも心を離れない悲しいトラウマになっている」と告白し、後にジャカルタの宮殿の一つに実弟の名をつけた。この宮殿はのちに接収され、軍事博物館になっている。



スカルノ大統領失脚
3年後の1965年(昭和40年)9月30日に起きた軍事クーデター、いわゆる9月30日事件でスカルノが失脚、代わってスハルトが大統領となった。スカルノは軟禁状態におかれ、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望したが、国際的立場上の理由で断念。スカルノの第2夫人を除く夫人は皆、大統領のもとを離れ逃げ切った。

1967年(昭和42年)3月11日、都内病院にて娘のカリナを出産する。正式名は「Kartika Sari Dewi Soekarno. Kartika Sari」。スカルノ大統領の8番目の子供であった。デヴィ夫人もフランスへと亡命した。スカルノ元大統領存命中にも関わらず数回の婚約発表が取りざたされたが、結局再婚はしなかった。

スカルノ死後
スカルノ大統領はクーデターを予期し、以前よりインドネシアからスイスへ巨額の資金を確保していたとささやかれるものの、1970年(昭和45年)のスカルノ死去時にスカルノ家、ならびにインドネシア政府から財産の相続の権利や子供のスカルノ一族としての地位などを喪失し、第3夫人としての資産は与えられなかったという噂があるが、実際には死去時に遺産が与えられたという説もある。いずれにしてもその後のインドネシア政府の方針により、第3夫人としての遺産分与が行われた。

「社交界の華[要出典]」とも呼ばれたその容姿で多くの要人らと関係をもったという。1980年(昭和55年)にはインドネシアへ戻り、石油関連事業を興した[要出典]。しかし、実際にはスカルノ体制崩壊とその後のスハルト政権成立により、元大統領夫人としての外交的立場を失っていたという。また、日本政府や日本の企業財閥側も、クーデターで失脚したスカルノ夫人を擁護することはなかったとされる。

1991年(平成3年)にアメリカのニューヨークへと移住する。ここからインドネシアの第一線から退き、その後の政変や第1夫人・第2夫人を中心とした政治の動乱には巻き込まれることもなく、日本に帰国し、現在に至っている。

傷害罪で逮捕
1992年(平成4年)1月2日にアメリカ合衆国のスキー・リゾート地、コロラド州アスペンで、セルヒオ・オスメニャ第4代フィリピン大統領の孫娘のミニー・オスメニャ(Minnie Osmena)の顔をシャンパングラスで殴打し、37針縫う大けがを負わせて傷害罪で逮捕され、禁固60日・罰金700ドルの実刑判決が出て、34日間収監される。動機は、数ヶ月前スペインのイビサ島でのパーティに於いて、ミニーが「フィリピン副大統領になる意志がある」と発表し、デヴィ夫人が吹き出したことから2人の関係が悪化したこと。後に「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と語った。

芸能活動
その後日本でタレントとして活躍する。タレント的活動は1970年代より行っており、1974年に小学館の総合男性誌GORO創刊号にヌード写真が掲載されている。新聞の番組欄では、「デビ夫人」と表記されることがある。

思想
自身の思想については、その多くが自身のウェブサイト内「デヴィ スカルノの独り言」に記されている。

大東亜戦争(太平洋戦争)と戦後
大東亜戦争(太平洋戦争)を肯定する立場ではないが、当時の世情として資源の乏しい日本が対外進出を行うのは当然であり、A級戦犯についても私利私欲で戦争を行ったのではない、としている[要出典]。日本人は一度の敗戦で精神が打ちのめされ、戦争の罪悪感から抜けきれず、日本人としての尊厳を失っていることが残念であるとしている[要出典]。戦争そのものはキリストの降誕以前から2009年(平成21年)を迎えようとしている現在においても繰り返され、人類の歴史そのものであるから、たった一度の敗戦で精神を失うことはない、としている。

靖国神社
靖国神社問題における戦死者・戦没者慰霊の問題については、夫のスカルノ大統領も靖国神社に参拝しており、祖国と家族のために亡くなった人を慰霊するのは当然であるとしている[要出典]。A級戦犯の問題についても、A級戦犯は東京裁判で処刑され、罪があるとしてもそれを既に償っているとして、慰霊に賛成の立場を取っている[要出典]。日本の全学生は、一度は遊就館に訪れ、自身が日本人であることを自覚し、世界の中で日本がどうあるべきか認識してほしい、と述べている[要出典]。また、小泉純一郎については、不戦の誓いのもとに靖国神社参拝を行っており、戦後最も傑出した政治家であるとしている。

憲法9条と本土防衛
憲法改正論議については、憲法は時代ごとの必要性で改正すべきであるとしている[要出典]。毎年4兆円をアメリカ合衆国の軍事基地維持費として支払うよりも、アメリカ軍からノウハウを受け継ぎ、日本も防衛軍を作って自国を守るべきであるとしている。

皇室
皇太子徳仁親王を廃嫡し、皇太子位を秋篠宮文仁親王へ移譲するよう署名運動を行った。

人物
インドネシアの大統領だったスカルノの第3夫人にあたる。インドネシア語(マレー語)・仏語・英語に堪能である。数々の美容整形や豊胸手術を行っている。「デヴィ夫人」の芸名で日本のワイドショーやバラエティ番組に出演している。芸能活動以外には、主催チャリティパーティを行っている。[要出典]大統領夫人時代に親交があった北朝鮮の拉致問題や飢餓問題にも活動している。

パーティ
日本国外においても自身が会長を務めるイブラ音楽財団などを通じて社交活動をおこなう。パーティを催すことがライフワークで、「ビザンチン皇室慈善舞踏晩餐会」には芸能人や在京の各国大使などが出席する。2005年(平成17年)には小池百合子環境大臣が主賓として招かれた。

北朝鮮との関係
北朝鮮とは夫のスカルノを通して親交があり、金日成花の命名式にはスカルノと共に北朝鮮で行われた式典に同席している。この事もあり[要出典]北朝鮮擁護の立場を取っている。朝鮮総連主催の式典にも出席を重ねている。北朝鮮による日本人拉致事件や人工衛星のテスト問題で北朝鮮を理解する立場からの発言をおこなっているほか、日本と北朝鮮の国交正常化実現を訴えており、朝鮮総連の中央機関紙である「朝鮮新報」から、同国に対するその姿勢を高く評価されている。

2005年10月31日には、民間の海外支援団体「グローバルレインボーシップ(GRS)」が北朝鮮に対して支援した120トンの米のうち60トンを提供した。2013年3月31日に開催された、朝鮮学校への高校無償化の適用と自治体による補助金支給を要求する集会「朝鮮学校はずしにNO! すべての子どもたちに学ぶ権利を! 3.31全国集会パレード」では、在日朝鮮人への無償化適用は当然のことであるとし、在日朝鮮人に対する安倍政権の弾圧や排外主義に対して疑問と義憤の念で溢れていると述べた。

自身のブログでは、「拉致」は許されないことであり、肯定したことは無いと述べている。またブログには北朝鮮とデヴィに関する悪口雑言なコメントが寄せられているが、そういったコメントをする人達はブログをきちんと読んでおらず、心外だとも述べた。また、「金日成・金正日主義研究」という雑誌によく寄稿している。

不祥事

インターネットによる中傷
2012年7月10日、大津市中2いじめ自殺事件に関連して、加害者及びその関係者と思わしき人物らの実名や顔写真とともに女性の写真を公開した上で自身のブログで強く批判した。しかし後に人違いと判明。翌日この写真などは削除されたが、デヴィが謝罪の態度を示さなかったことから、女性はデヴィを相手に1100万円の損害賠償などを求める訴訟を神戸地方裁判所に起こした。2014年2月17日、神戸地方裁判所はデヴィの行為を「非常に軽率な行為」とし、165万円の支払いを命じた。デヴィは判決に対して、不当判決であり最高裁まで争うとしていたが、その後大阪高裁で和解が成立した。和解内容は非公表。

番組内での暴行
2014年1月、TBSのバラエティー番組の収録中に一般の女性出演者を平手打ちしたとしてトラブルとなった。この女性は事前に番組スタッフから番組を盛り上げるように言われたためデヴィを挑発したところ、デヴィに顔を3回平手打ちされたという。その後女性の被害届提出を受けて、警視庁は暴行容疑で捜査を開始した。

公職選挙法違反の警告
2014年東京都知事選挙では、元航空幕僚長の田母神俊雄を応援して、共に街頭で演説するなどの活動を行った。選挙期間中には、同年2月7日付の自身のメールマガジンで、登録者に向けて「『田母神 俊雄』と書いて、必ず投票所に行ってください」と投票を呼びかけたため、警視庁から公職選挙法違反の疑いで警告を受けた。 2014年3月13日の映画大統領の執事の涙の公開直前イベントで「SNSが解禁になったということで、ブログに書いていいのかなあと思ったら、メルマガは違うということで(警視庁が)ちょっと教えてくださったので、あっそうですかって。私、外国人なので全然知らなかったの」と語った。

参照元 : wiki/デヴィ・スカルノ


満州アヘン人脈 → デヴィ夫人「根本 七保子(ねもと なおこ)」北朝鮮・勝共連合(児玉・笹川・岸)・文鮮明、池口

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